「N氏の新たなる冒険」は世界結晶年を記念して中性子科学会から出版された、中性子を用いた研究に関する一般向けの読み物です。

中性子(第1のN氏)は、研究の対象としてあるいはツールとして、多くの科学者・研究者を魅了してきました。この冊子はより多くの方に中性子科学の魅力を知っていただくため、物質・材料科学、地球科学、生命科学などのサイエンスから、工業、農業、食品など産業利用や医療利用の分野など、バラエティに富む分野それぞれの第一線の研究者(第2のN氏=中性子に魅せられた人々)に寄稿を求め、サイエンスや産業の最前線での中性子利用の「今」と「これから」が俯瞰できるよう構成しました。ぜひあなたもN氏とともに、あるいはあなた自身がN氏となって、未知未踏の世界への旅に挑戦してみませんか? これから開かれるページの中に、あなたの冒険のヒントが埋まっているかもしれません。



1

N氏の旅のはじまり

「N氏の新たなる冒険」のプロローグとして、現代によみがえったお二人の先生にご登場いただきます。まず中性子の発見で1935 年にノーベル物理学賞を受けた、英国のジェームズ・チャドウィック先生(Sir James Chadwick、1891-1974 年)。そして、その 中性子を使って物質の内部を見る方法を編み出した(1994 年ノーベル物理学賞受賞)、バーティことバートラム・ブロックハウス先生(Bertram Brockhouse、1918-2003 年、カナダ)です。「N氏の旅」のはじまりから新たな冒険へと続く壮大なストーリーの一端と、そのストーリーを紡いできた多くの研究者をご紹介する上でもっともふさわしく、また現代の日本の事情にもなぜかお詳しい、お二人の先生に語っていただきます。

2

超伝導の謎を解き明かす

1911年、オンネスにより水銀で発見された超伝導現象は、1986 年に大きな進展を見せました。液体窒素で冷やせば超伝導状態に遷移する「高温超伝導体」のフィーバーが起こり、中性子実験で構造が決定されました。21世はじめには金属間化合物MgB2のフィーバーもありました。次なるブームでもおそらく、新物質の構造決定やメカニズムの解明に中性子実験は重要な役割を果たすことでしょう。

 
3

「磁性とは何か」という問いに挑む

中世ヨーロッパで魔術的な力とされた磁力。その探求は近代物理学の誕生に深く関わっているといいます。それ自体が磁気モーメントを持つ中性子は、いわば最小の磁石です。物質の磁気構造 の解析を通して強力な永久磁石の開発に役立つばかりでなく、古(いにしえ)から続く 「磁性とは何か」という根本的な問いの答えに迫るツールでもあります。

 
4

深宇宙より遠い地球深部を

"PLANET"で再現3 億km 彼方の小惑星イトカワの試料回収が話題になりましたが、サンプル採取の難しさでは、地球深部のほうが深宇宙( 惑星間空間)よりもはるかに「遠い」場所となります。そこで登場するのが地球深部の超高温超高圧を再現する装置" 圧姫"。これを核とした中性子実験システム"PLANET”ならば、地球深部を「見る」ことができます。岩石やマグマに含まれる水や水素をミクロに観察し、マクロなマントルのダイナミクスまでを解き明かすのが狙いのひとつ。研究が進めば、地球にとどまらず惑星形成の謎にも迫れると、期待がふくらみます。

 
5

「ソフトマター」の強さの秘密

鋼よりも軽く強靭なファイバー、ぺちゃんこに潰しても何事もなかったかのように復元するゲル。  中性子で解明された分子レベルの構造から、強さの秘密が明らかになってきました。来るべき「ソフトな素材革命」に、中性子は欠かせない役割を果たします。

 
6

タンパク質の“ 生き生きした表情”を読み取る

「百聞は一見に如かず」である以上に、動画は写真を圧倒します。対象のビビッドな動きが、見る者に多くの情報だけでなくインスピレーションをも与えてくれるからです。
 中性子線の大きな特徴は、やわらかな高分子が「ゆらぐ姿」を、いわば動画でとらえることができる点。タンパク質の生き生きした表情を知ることで、機能の解明が大きく進むと期待されています。


 
7

水から読み解く「おいしさ」とは?

電子線でもX線でもつかめない水分子(H2O)のふるまいを、中性子線が明らかにします。 茨城名産「干し芋」のしっとりした食感は、保存性とおいしさの絶妙なバランスで成り立っています。単純な水分量だけでなく、どのような状態で水分子が物質と結合しているかが、おいしさや保存性を左右するとされています。「中性子非弾性散乱」は蛋白質やDNAの解析だけでなく、おいしさや食の安全に関わる新たな知見を蓄積しつつあり、大きな期待を寄せられています。

 
8

生命を司る水の「見える化」

1998 年に発表されたこの写真は、輪切りの木材(厚さ1㎝の杉小口材)に含まれる水の量を中性子で「見える化」した先駆的な仕事でした。さらに研究は進展し、植物内部の水の「量」だけでなく「流れ」をも見ることができるようになっています。栽培作物の品種改良に、生長のダイナミズムの理解に、そして生命現象の解明に……。中性子イメージングは農学にも大きなインパクトを与えています。

 
9

最悪のがん「神経膠芽腫」を
中性子で狙い撃つ

最悪のがんのひとつと言われる脳腫瘍「神経膠芽腫」。こうしたがんを中性子で叩く"BNCT"と呼ばれる治療法のメカニズムを、アクション映画で例えてみるとこんなふうでしょうか。
 「敵のアジトに潜入した工作員がターゲットをマーク。ピンポイ ントで精密爆撃し、周囲にはいっさいダメージを与えず、 任務を完了」 原子炉ではなく小型の加速器から中性子を得られ るようになったことで、BNCT の新たな展開が見 えつつあります。

 
10

エンジン内を駆け巡る
オイルを可視化する

レシプロエンジン内奥のオイルの挙動をスローモーションで捉えた画像は、大きな驚きをもって迎えられました(日産自動車、原子力機構。2008 年)。あくまで「予想」にすぎなかったコンピュータ・シミュレーションに「正解」を与えることで、世紀を超えて蓄積されてきたエンジンに関する知見をさらに一歩進めることができました。理論と実験の両輪で発展する理工学の象徴的な成果と言えるかもしれません。さらに、こうした研究をベースに3D 撮像や元素識別など、新たな中性子イメージングの世界が広がりつつあります。

 
11

高性能バッテリーの開発を目指して

有用なものを貯蔵し、必要なときに取り出して使う技術を人類は磨き続けてきました。縄文式土器や正倉院宝物殿も、あるいは巨大なダムや超低温の冷凍庫も……。そして電気を貯める高性能バッテリーもその系譜に連なります。リチウムイオン充電池をさらに高性能にする研究開発に、中性子だからこそできる貢献があるのです。

 
12

生命を、産業を、文明を支える鉄を
ナノからトンまで理解する

ナノとトンを同時に扱う日本の鉄鋼業。なかでも製鉄所の熱間圧延ラインは最もダイナミックなものづくりの現場の一つでしょう。赤熱した何十トンもの鋼の塊が、圧延ローラーを通過しながら薄く延ばされ、ナノスケールで組織が作りこまれます。そこで何が起きているかを知るため、高温のサンプルに負荷を与え、中性子でその場観察する装置が稼働を始めています。鉄の物性の本質的な理解の先に、画期的な新材料が見つかるかもしれません。

 
13

中性子パワーで半導体をつくる

計測や解析ではなく、ものづくりのために「核変換」が利用されているレアな事例をご紹介します。純シリコン (Si) に不純物を添加するドーピングの工程は、半導体製造の出発点であり品質に大きく影響します。外から不純物を加えるのでなく中性子を照射することで、結晶格子を構成する物質を他の元素に変身させ( 核変換)、シリコン中にリン(P) が均一にドープされた良質の半導体をつくる手法が中性子ドーピング法です。日本はシリコン単結晶の最大の供給国であり、作られる製品は高耐電圧特性が求められるパワー半導体として省エネルギーに大きく貢献します。

 
14

中性子で原子を観る
複雑な装置のシンプルな原理

「チョッパー分光器」とは、いってみれば穴から押し出されるパスタを同じ長さに切り
揃える回転刃のような装置。また「単色化用結晶」は角度によって目の粗さが変わる篩
(ふるい)のようなもの。いずれも特定の波長(エネルギー)の中性子を選別する役割を
果たします。
1994 年にノーベル物理学賞を受けた「中性子三軸分光
器」。J-PARC で活躍中の「中性子チョッパー分光器」。
これらのきわめてシンプルな原理と装置の概要を紹介
します。

 
15

中性子レンズや中性子ミラーで
思いのままにビームを操る

どんなに軽くて丈夫でも、加工できない材料は使えません。どんなに優れていても、制 御できないビームはやはり使えません。中性子線のひとつの特徴はその強い透過力に ありますが、同時にそれは中性子線が制御の難しいビームであることを意味しています。しかし困難ではあっても不可能ではありません。中性子利用がこれほど進んだの は、その可能性を信じた多くの研究者がエネルギーを注いだからなのです。そしてその努力は「宇宙のはじまり」や「素粒子の誕生」など、根源的な謎に迫る基礎物理の研究
に重なっていきます。

 
16

中性子が教える
ありのままの磁場の姿

砂鉄を板にまいて磁力線を可視化するように、中性子線を使って空間中の磁場を直接 観察する技術の開発が進んでいます。
 「熱伝導」や「応力分布」や「電波伝搬」も、かつては不可視の現象でした。しかしそれら の解析ツールは現在、機器開発の現場で当たり前に使われています。磁場解析もそうならないはずがありません。直接観察の先には、より性能の高い磁気関連機器開発や、 新たな磁気材料創成の可能性が広がっています。

 
17

全長15mの“小型中性子源”
さらなる小型化で広がる用途

小型化して普及し世界の様相を変えたのは、電卓やコンピュータだけではありません。理化学研究所が取り組む小型中性子源“RANS”(ランズ)は、線形の陽子線加速器を使 った全長15mのコンパクトなシステムです。将来は車載できるほど小型化された中性子源で、橋梁の劣化を素材レベルから検知するシステムなども考えられています。

 
18

N氏のみちのり



 
19

N氏に会える場所

(日本の主な中性子実験施設・研究組織他)

 
20 N氏の旅の途中に